ようやく今井先生が振り付けを引き受けてくれそうだ。
条件は、おのれのすべてをさらけ出すこと。
潤平が全身全霊でさらけ出すなら
「コンクール用」ではない、作品としての振り付けをしてもらえる。
今井先生だって制限の多い片手間仕事よりも
めっちゃかっこいい作品を作りたいだろう。
潤平と「ホーミー」をネタにどんな振り付けを作れるだろう?
ホーミーとは?モンゴルの特殊な歌
中央アジアに「喉歌」といって
ひとりでふたつの音を同時に出す歌い方がある。
まず喉をつめた発声で低音を長く伸ばす。
それから口の中の形を調整して倍音を共鳴させる。
ギターでいうところのハーモニクスだ。
人間のノドを使ってもハーモニクスができる。
笛のようにはっきりと高音が響くようになる。
この歌唱法がモンゴル人のアイデンティティになった。
馬頭琴とホーミーがモンゴルの象徴だ。
今井先生が音源を鳴らして
潤平に聴かせるとモンゴルのキリル文字がページを縦断する。
ページをめくると、毛皮の服を着た人々が
馬に乗って草原を走っている。
リーダーの肩には鷹がとまっている。
世界を征服したチンギスハーンのイメージだ。
万里の長城を超えて中国を統一した騎馬民族だ。
ロシアにも騎馬民族の記憶が色濃くある。
オペラ『イーゴリ公』の「ダッタン人の踊り」が有名。
「ダッタン人の踊り」ではダンスのシーンがある。
敵である異民族が集い故郷を思いながら歌い、踊るのだ。
作曲者のグラズノフは技法を駆使してエキゾチックを演出する。
ティンパニが民族音楽の太鼓のように響く。
小節の頭で鳴らすせいだ。
ヴァイオリンのピチカートが弓のようになる。
小弓は騎馬民族の象徴なのだ。
そして教会旋法。
ドリア旋法を使うことでメロディーがエキゾチックに感じられる。
生粋の西洋音楽の技術を使いながら
グラズノフは騎馬民族を描いて見せた。
潤平は「ダッタン人」になるか?
潤平もある意味、異民族である。
バレエを始めるのが決定的に遅かった。
もともとバレエの国の住人ではないのだ。
都との出会いをきっかけに
バレエに飛び込んで物めずらしげにバレエ界を観察していた。
るおうは潤平を「猿」と呼んだ。
最近はスクールの同期に「スタイルのいいゴリラ」と言われているが。
潤平の舞台をはじめてみた綾子先生は
「これはバレエではない」と断言した。
そんな潤平が、またたく間にバレエを習得している。
「お前のスピードは・・・異常な早さだぞ」(今井先生)
思えばバレエを始めたのが中二。
潤平はまだ中三なのだ。
2年もたっていない。
それこそチンギスハーンの世界征服のように
おそるべき速度で拡大している。
いったいどうなっているのか。
今井先生は潤平の内面に興味がある。
この中三男子のなかにあるものを知りたい。
ヨーロッパ人が騎馬民族に驚いたように
今井先生は潤平を解体し観察し、
そのうえで動かしてみて検証したい。
今井先生は振付家だから
自分の考察を一連の「動き」としてまとめあげ舞台にのせていく。
いったいどんな振り付けになるのか想像もつかない。
それとも音楽がホーミーだから、クラシックな振り付けだけして
潤平の異物感を十分にみせつけるだろうか?
外部からの侵入者が、文化を活性化させる。
「エキゾチック」はバレエでも一大ジャンルを作っている。
スペインものとか、ジャパネスクものとか。
そしてコンテンポラリーの新作振り付けを
マンガのワクでどこまで説得力をもって描けるのか。
これまで「より道」に見えていたエピソードが
コンテンポラリーの振り付けに回収されるかもしれない。
8月9日発売
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