杉木からオーウェンへの依頼
ラテン鈴木が10ダンスに出られるよう
杉木はちゃくちゃくと準備を進めている。
ブラックプールのテーブル席で関係者に顔あわせをした。
スタンダードのもとチャンピオンであるオーウェンはそのひとりだ。
オーウェンへの依頼事項はふたつ。
スタンダードを踊るとき、鈴木とアキが「恋人」に見えるようにする。
オーウェンの踏風を鈴木に吸収させたい。
要するにレッスンしてくれというところか。
オーウェンは耽美的なダンスで観客を魅了し
スタンダードチャンピオンの座をえた。
鍛錬の過程を観客にさとらせることなく、
あくまで耽美的な恋の幻影を演じる。
妹との禁忌の恋どころか、ゲイである可能性もある。
自然な感情を押し隠して、
それでもあふれでる感情をドラマとして演出する。
人工的な美を作ることにたけている。
オーウェンはあっさりと依頼を了承した。
夏には来日すると回答。
そのうえで杉木に問い返す。
ラテン鈴木には稀有なスター性がある。
オーウェンの目には鈴木の上に「王冠」が見える。
鈴木がスタンダードを習得したら杉木を敗北させ
チャンピオンになる可能性すらある。
お前は自分が負けるのを覚悟のうえで
鈴木に肩入れするのか?
電話をおえて杉木は落ち込んだ。
自分が敗北することは気にならない。
ライバルの出現はむしろ歓迎だ。
「ゾクゾクする」
嫌なのは、鈴木をほかの男に任せることだ。
独占していたい。
天真爛漫な鈴木
今夜も杉木と鈴木はいっしょに練習する。
レッスンが終わってから銀座の公園で踊るのだ。
鈴木はキューバの家族と電話している。
声がでかい。
明るい
日本語とスペイン語のちゃんぽんで
わけのわからん言葉になっている。
杉木は温かいものを飲みながら見守る。
タクシーの運転手のジイさんたちは呆れている。
鈴木の喋っている様子はあけっぴろげで天然すぎる。
日本人とは思えない。
鈴木から電話をわたされて杉木があいさつする。
「妹らがアンタと話したいって」
電話はキューバにつながっている。
杉木がスペイン語であいさつすると
南国の娘たちが大喜びで悲鳴をあげる。
鈴木と手をつなぐだけで海と空が見える
杉木はすでに鈴木の経歴を知っている。
キューバ生まれ。
お母さんのマリアはダンサーと次々に恋をして子どもを産んだ。
長男は鈴木。
その下は女の子9人。
鈴木本人の口からきくとキューバの光景が見える。
「キューバは音楽とダンスとラム」
「あとは恋と海でできている」
「空は?」「青いよ。きれいな青」
「恋をしたら2人で海へ行く」
「誰にも邪魔されず椰子の下で過ごす」
鈴木と手をつなぐだけでキューバにいける。
まるで体の中に青い空と海があるみたいだ。
冬の銀座にいるはずなのに、
杉木は太陽が照り付けるのを感じている。
自分の歴史が頭をよぎって消えていく。
社交ダンスにとらわれ、競技会では2位ばかり。
苦しみの記録だ。
鈴木と踊っているとダンスだけがある。
地下鉄の駅までついてしまった。
しかし杉木はまだ踊りたい。
純粋にダンスにひたっていたい。
「鈴木先生」
「できるなら」
「もう少しこのまま」
鈴木も了承する。
ふたりは駅を通り過ぎてまた踊り続ける。
鈴木先生が向井くんをとりこにする
鈴木も日本ではラテンチャンピオン。
世界大会にでずに現状維持していたほうがコスパ良く稼げる。
父親は、鈴木がおとなしくしていることを勧める。
そのほうが収入はいい。
しかしすでに10ダンスの世界大会に出ると、
鈴木は決めている。
父親にも秘密だ。
チャレンジ精神が鈴木を変えつつある。
杉木からの刺激で新しい世界へ踏み出そうとしている
もともとの才能に加え、挑戦者のフェロモンがあふれ出している。
取材に来た『ダンスウィズ』の向井くんが
鈴木のフェロモンにあてられている。
向井くんはダンスを勉強するにつれて
鈴木の可能性に限界を感じるようになっていた。
すごい動きをする選手は海外にいくらでもいる。
ところが実際に再会してみるとオーラがはんぱない。
鈴木の何気ないしゃべり方、体の動きで
向井くんは心をつかまれてしまう。
「指先と唇がまだ痺れてる」
言葉にならない力で影響力を放っているのだ。