ジャパンオープンの朝
鈴木が父親と朝食を食べている。
米とみそ汁と漬物。
完全な和食。
試合の日は米を食う。
父の教えどおりだ。
今日はジャパンオープン。
父は大会実行委員長だ。
競技ダンスの偉い人になっている。
父は年老いている。
ほおがこけてひげが目立つ。
昔のようにおしゃれサングラスではなく老眼鏡をかけている。
鈴木の若さが逆にきわだつ。
いま３０歳くらいか。
人生でいちばん筋肉量の多くなる年代だ。
穏やかに父と会話しながら、試合当日の朝をすごしている。
「今日俺は親父を裏切る」
父の教えを破って、大会で優勝するつもりだ。
世界２位の男
会場は高輪プリンスホテルだ。
試合の準備がちゃくちゃくと進んでいる。
看板の設置、受付のセッティング。
品川駅から会場へ向かう参加者たち。
大柄な男がランニングしている。
ガブリエル・ウィルキンス。
ラテン世界２位の男だ。
世界１位はこないだのアル。
鈴木とたっぷりからんだ小男。
ウィルの方は大男だ。
２メートルはある。
鈴木の変化をそれとなくアルから警告された。
「あれはどういう意味だ？」
ホテルのロビーでアルは自問するがわからない。
鈴木の存在など眼中になかった。
鈴木は万年３位の男だ。
そう決まっている。
１位アル。
２位ウィル。
３位鈴木。
これで日本ダンス界の秩序が守られる。
おかげで鈴木の収入も安定する。
鈴木の１位を楽しみにしているのは向井くんくらいだ。
雑誌『ダンスウィズ』の新入社員。
さいきん取材を繰り返し、鈴木の変化を感じている。
異常なほどのオーラの変化を察した。
向井くんは競技ダンス界の秩序のことなど知らない。
鈴木の存在感にあてられてワクワクしている。
世界１位と世界２位にどれだけ割り込めるのか。
トップに立つことすらありうるんじゃないか。
ダンス界の大人の事情など、向井くんは知らない。
「鈴木信也は３位だ」
「余程のことがない限り３位なんだ」
先輩社員が向井くんに説明する。
団体がお金を出してスター選手に来てもらっている。
運営側はその見返りをゲスト選手に与えなければならない。
鏡のなかに自分を見つめる鈴木と鈴木父、杉木
鈴木はすでに会場入りしている。
鏡にむかって髪を整えている。
父親もならんで髪を整える。
父からのアドバイスはかわらない。
「ダセェ踊りは見せんなよ」
「３位は死守しとけ」
鈴木の父はそういう生き方を選んできた。
社会の仕組みを利用して、収入をあげる。
自分の能力をコントロールして、ダンス界の要求とマッチさせる。
そのためにダンサーとしての欲望をおさえる。
鈴木父の作戦はまずまず成功した。
おかげでダンス団体での地位を得た。
いまは競技会の実行委員長。
まだ上も望める。
死ぬまで踊れるわけではないのだ。
老後だって考えなければならない。
父親が部屋を出ると、鈴木は再び鏡の中に自分を見つめる。
すでに父親の予想をはるかにこえた境地にいる。
鏡の中にいるのは「舞踏の神」だ。
自信にみちてほほえんでいる。
ダンサーとして円熟し、体力も気力も最高潮。
「本気」で踊るつもりだ。
「帝王」杉木も鏡に向かっている。
おのれの姿の向こう側に鈴木の体を見ている。
鈴木の本気の戦いを見に行く。
鈴木は解放されていく。
家族に金かせぐため、父の教えを守るため・・・
環境は鈴木を鍛えたが、同時に鈴木をしばっていた。
杉木との出会いで、鈴木は自分を解放していく。
解き放たれた「舞踏の神」に会いたい。
１０ダンス６巻の発売日は３月１８日
特装版がまもなく発売です。