名香智子先生が『パートナー』を描くときに
モデルになったと思われる人物が鳥居弘忠・洋子だ。
その経歴は以下のホームページに詳しい。
鳥居は大阪船場のワイシャツ製造販売問屋の三男に生まれた。
運動神経がよく、音楽が好きで、みんなの注目をあつめる花形だった。
父の戦死後、鳥居の母はダンス教室をはじめ、
大学生だった鳥居は、ダンスに没頭する。
大学は中退し、24歳でプロ入りした。
その数年後、鳥居は洋子を発見する。
「競技経験はないものの、輝くような華がある」と感じパートナーを組んだ。
すぐに猛練習を開始。毎日2時半まで、時には夜明けまで練習を重ねた。
翌年、全日本選手権9位に入賞し、その後も5位→3位と順位を上げるが
限界を感じ、英国へダンス留学する。1972年の秋だった。
留学中、ふたりは朝5時すぎから練習をはじめ「クレイジー」と驚かれた。
日本人体型の自分たちは普通の努力では追い越せない
英国式のダンスを体得するため、
自分たちの踊りを一度つぶさなければならない。
英国ではニーナ・ハントに師事し、ベーシックをいちから学んだ。
3歩のステップを鏡の前で1時間練習させたあげく「ノー」といわれる。
悔しかった。
誰にも負けない練習量でベーシックを踊り込んだ。
そして1975年の日本選手権ラテンで1位、モダンで決勝進出する。
1976年には全英選手権ラテンで3位。
1977年には世界10ダンス選手権で1位。
このときは練習のしすぎで左ふくらはぎに肉離れを起こしていた。
しかし杖をついて練習。予選の最中にも肉離れを発症する。
片足が不自由になることを覚悟して踊り、優勝した。
ふたりはそのダイナミックな踏風から「ダイナマイト・トリイ」と呼ばれた。
1982年までチャンピオンを維持し、そのまま引退。
『パートナー』連載は1980年から1987年まで。
ふたりを念頭において神(じん)と茉莉花(まりか)は描かれたかもしれない。
しかし現実のパートナーは、マンガとはまた別の方向で熱く生々しい。