YAGPニューヨーク予選開始
寿の耳たぶがどんどん長くなる。
耳全体で顔の6割位の長さになっている。
思わぬ成長。
本人はまったく気づかずステージに夢中だ。
YAGPニューヨークの男子予選がはじまる。
寿は興奮している。
2年前に観たときよりコンテンポラリーがレベルアップしている。
技術の向上はもちろん、振り付けも洗練されている。
夏姫もびっくりしている。
日本とは観衆の反応がちがう。
よいパフォーマンスをすれば拍手だけでなく歓声や口笛まで上がる。
アメリカっぽいというのか?
ダイレクトで素直な空気だ。
潤平はどう評価されるのか?
撮影の大原田さんは、潤平に期待している。
レッスンでみた潤平のダンスは異質だった。
バレエを知らない大原田さんも、はっとして見入ってしまうものがあった。
そんなダンスを踊るやつは、ほかにいない。
見るものに嫌悪感をもよおさせる。
ひとの心の裏側にある、おもわず目をそむけるような後ろめたさを潤平は引き出してみせた。
踊っている本人もつらくて逃げ出したくなるような感情。
石をめくってナメクジを探すような作業。
昨年グランプリのサシュコー登場
プログラムを読んでいた寿が興奮する。
昨年1位のサシュコーが出場する。
潤平が動画をみて打ちのめされたあの彼だ。
紛争で両親を殺された東欧出身のダンサー。
(バレエの話に熱中する寿はすごく幸せそうだ)
確認する間もなくサシュコーがあらわれる。
寿たちのすぐ前に顔を出して後ろをながめた。
昨年チャンピオンを至近距離で見つけて固まる寿たち。
あっというまにサシュコーは走り去る。
誰かを探していたらしい。
サシュコーはダントツの優勝候補だ。
わざわざ今年も出場する理由がわからない。
ブランコは客席を駆け上がって目当ての人物に話しかける。
1階席最後部の手すりにもたれてつっぷしていた。
「前行って座りましょうよ」
サシュコーが話しかけた。
予想外に嫌味なキャラに見える。
「・・・前で僕を、観てくださいよ」
サシュコーは自信まんまんだ。
その男は突っ伏したまま動かない。
「目をつむっているほうが楽しめる」
顔を隠したままだ。
「ダンスが邪魔に思える・・・」
「俺はもう、ダンスに興味が持てないんだよ」
潤平の登場とニコラス・ブランコ
舞台袖で潤平は吐き気におそわれている。
係員がみかねて声をかける。
「踊りたくねー」
心の負荷が大きすぎるのだ。
全身全霊バージョンをやるのはつらい。
中村先生は土壇場で「全身全霊バージョン」を勧めてきた。
もうこれは踊り手としての本能だ。
最高のものをみせる。
自分がいまここにいる意味はそれだ。
バンダ中村は正しい。
それでも実際に踊るのは潤平のほうだ。
取り残されて辛くなってきた。
「知んねーよ。何言ってんだよバッカじゃねーの」
「もう涙が出てきた・・・」
「最後まで踊り切れねーよ」
「無理無理無理」
ネガティブワードが頭の中でぐるぐるする。
それでも舞台に出ると、潤平はダンスに集中する。
もうひとりの自分が高笑いしている。
「ノーミソ キンッキン」
「最高にクリアだ」
重苦しいダンスを潤平は踊る。
ホーミーと太鼓の音が見るものの心臓につきささる。
「ドロの中をもがいて、やっと生をつなぎとめているような・・・」
1階席最後部の男が顔をあげる。
足が義足だ。
ニコラス・ブランコ。
潤平のあこがれのダンサー。
バレエをはじめるきっかけになった男だ。