兵藤のタンゴ
兵藤が帰ってきた。
めちゃくちゃ怒っている。
顔が怖い。
たたらの胸ぐらを掴んで
「返せ」とにらむ。
燕尾服を取り返し、
しずくを取り返してフロアへ向かう。
すさまじい気迫でタンゴを踊りはじめた。
「あいつめ」「足ぶっ壊しても知らねえぞ」
兵藤は足を故障して踊れなかった。
ワルツの時はフロアに来ることすらできなかった。
それなのに、火がついてしまった。
たたらがしずくと踊っているのをみて我慢できない。
いつもとのテンションの違いに
パートナーのしずくが圧倒される。
「シッ」
「はッ」
踊りながら吠える。
普段はお手本のように
美しく正しい踊りをする兵藤が
気迫のこもった荒っぽい表現をする。
「あの表情・・・相当タンゴ入ってるわよ」
番場もびっくりの踊りだ。
「すごい・・・」
「まさに情熱のタンゴね」
タンゴとは?
競技ダンスでタンゴはモダンのほうに入る。
モダンは、燕尾服を着て踊る上品な踊り。
タンゴはもともとアルゼンチンの踊りなのに
モダン種目に入る。
きちんと整った服装をして社交場で踊る。
だけどとてもセクシーな踊り。
両極端なものが入っている。
タンゴのショーを見に行くと
男二人で踊るシーンがよく出てくる。
初期のタンゴではこういうことがよくあったという。
そして女を取り合って争うシーンも出てくる。
ひとりの女をはさんで、
二人の男が踊る。
ナイフをもっての立ち回りもよく出てくる。
ならず者たちのケンカ。
女の取り合い。
歴史的にはそういう側面を持っていた。
兵藤はタンゴの起源にまでさかのぼったのだ。
命をかけた男どうしで意地の張り合い。
目の前でしずくを連れて行かれ
思うように踊らされてしまったショック。
自分の足は故障して思うように動かない。
その怒りが、兵藤を新しい境地に連れて行った。
いつもはお手本のように折り目正しく踊るのに、
心の底から闘争心が湧き上がって兵藤を動かす。
それはもともとタンゴが持っている両極端な成分だ。
兵藤はしずくをはさんで、
イメージの中のたたらと踊っていたのだ。